豊臣秀吉くんの日記:第49回 北条氏照の瞳
天正一八年四月八日
先月朔日、わしは燦々(さんさん)と輝く隊列を組んで、京の聚楽邸を発った。
坂東の田舎大名征伐とて、いきなり本拠の小田原城を攻撃はできぬ。
小田原城を中心にして、大小、数多の支城が配置されているからの。
その支城最前線は、箱根峠の西に突出した山中城(静岡県三島市)。その固めは強固であった。
山中城には甥の秀次を総大将に、中村一氏・田中吉政・堀尾吉晴・山内一豊らが攻撃に向かった。
三月二九日に攻撃開始。四〇〇〇人の城兵に対し、攻撃する秀次軍七〇〇〇〇余りに達した。
守将の北条氏勝と間宮康俊(やすとし)らが激しく抵抗し、攻手の一柳直末(ひとつやなぎ-なおすえ)が銃弾に倒れるほど。
猛攻を繰り返し、康俊らが戦死して砦が陥落。山名城は半日で落城し、氏勝は玉縄城へ逃げ帰った。
箱根峠を越えたわしは湯本の早雲寺に入り本陣とし、家康公は小田原の東に陣を張った。
西には細川忠興・池田輝政・堀秀政・丹羽長重ら、相模湾には九鬼嘉隆・加藤嘉明・脇坂安治・長宗我部元親の、一万の水軍を配備。都合二二万の兵力により、小田原城は虫一匹も出られぬほど完璧に包囲された。
「伊達政宗は動いたか。」
小田原城天守において、当主の父・氏政が弟の氏照に聞く。
「いまだ秀吉軍に馳せ参じたとも聞き及びませぬ。」
城下を見下ろす名将・氏照の瞳には、立ち並び賑わう見世物小屋、屋敷、茶室が映ったであろう。これ全て包囲している秀吉軍に由る。
「後詰めなくして籠城戦が成功した例を聞かぬ。」
「御注進申し上げます。」
臣下が二人の兄弟に見(まみ)えて告げる。
「どうした。」
「城内の皆川広照が部下一〇〇人を召し連れて脱出。秀吉に降りました。」
「噂通り、なかなか見事な窯よ。」
「恐れ入り奉ります。」
箱根湯本において、投降してきた北条方の下野皆川城主・広照がわしを前に畏まった。
「これが下野(しもつけ)の天明なるか。」
確か、誰かを待っていた。
「さようでございます。」
広照の後ろに控えた数人のうち一人が答えた。
「貴様は――」
伊達政宗?もはやどうでもいい。
「お久しゅうございます。羽柴――もとい、豊臣秀吉様。」
誰かを待っていた。それがまさか、
「宗二!」
かつてのわしの茶頭などではなかった――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2022-09-29 公開
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