加藤清正くんの日記:第38回 旧正月、蔚山、沙也可


加藤清正戦国28年2月5日

わしが朝鮮慶尚道に築城していた蔚山(ウルサン)倭城は、明の経略・楊鎬(ようこう)と提督・麻貴(まき)、朝鮮の権慄(クォンユル)率いる連合軍六万に包囲されて今日(旧暦12月27日)で五日目を迎えた。

もうすぐ正月(春節)だというのに、城内二千の日本兵は飢えと寒さに苦しんでいた。

降伏か、討ち死に覚悟で戦闘か。

絶体絶命に陥ったその時、城下に敵の使者がやって来たという知らせが入った。

城下に赴くと、敵の使者というのは元わしの家臣・岡本越後こと沙也可(さやか)だった。

「貴様あーッ、どのツラ下げてッ…!」

とわしは刀で沙也可を叩き斬ろうとした時、

お止めください、使者に無礼はなりませぬ!

と浅野幸長がわしを制止した。

「こいつは五年前、加藤軍の先鋒将として朝鮮に侵攻した時、この戦いには大義がないなどとほざき、朝鮮軍に自ら投降した裏切り者だぞ!」

相変わらずだな、清正。

と沙也可は涼しげに微笑み、楊鎬の降伏を勧告する文書をわしに差し出した。

この蔚山倭城から投降した日本兵から聴いたよ。

沙也可

沙也可

貴様らは日本から連れてきた農民を朝から晩まで城普請の材木採りに駆り立て、その労役を怠ったり、逃走する者あらば首枷をかけ焼金(火印)をあてる、またはその首を斬る――

我々が包囲する前から既に地獄が始まっていたとは呆れて物も言えない。

このまま降伏せずに戦うというのなら、我々明・朝鮮軍は喜んで受けて立とう。

と沙也可は言い残してこの場を去った。

「クッソ!」

わしは沙也可から手渡された文書を地に打ち付けた。

あれが沙也可…

正月でも春でもなく、元サムライの朝鮮人が蔚山に訪れたのであった。

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