毛利秀元くんの日記:第8回 二人の父
9月12日
僕には二人の父がいた。
一人は実父・穂田元清、もう一人は伯父・小早川隆景。
二人は毛利元就の子で母は違えど、仲のよい兄弟だった。
宗家当主・輝元公には、子ができなかったので、輝元公補佐役の伯父上(隆景)はその後継として僕に白羽の矢を立てた。
かくして僕は七歳で輝元公の養子となり、一一歳になると卯の刻(朝六時)から亥の刻(夜11時)まで本格的に学問に励むこととなった。
何故一族の中から僕が選ばれたのだろう。伯父上に伺ってみると、
「秀元には飾り気のなさがある。」
とお答えになった。
「それだけですか。」
僕は絶句した。
「充分であろう。」
「・・・・・・。」
地元の寺の僧から手ほどきを受けながら、『論語』『孟子』などで漢文を学ぶこと一年。それを終えると『古今集』『源氏物語』などで和歌の道に進んだ。
きちんと習得できているか、定期的に伯父上は自ら僕を試験した。出来がわるいと今度は、弓やら槍やらの稽古が課せられた。
「もうやめたい」と僕は何度も父上(元清)に泣きついた。その度に父上は、「奴隷じゃないのだから秀元の好きにしなさい。」と微笑んだ。
学問と武術の特訓をすること五年。突然、輝元公に子ができて、僕は宗家後継から外れることになった。
「なんなんだよ…」
僕は全身から力が抜けた。すると、
「秀元らしい。」「然しながら日本一素晴らしい青年に成長してくれた。」
と父上と伯父上は笑って酌み交わした。
翌年二人の父は、ほぼ同時期に病を患って床に伏し、今年僕は慶長の役・右軍総帥として渡海。
そして今日、本国の輝元公の報により、異国の地で僕は二人の父の死を知った――
カテゴリ:毛利秀元くんの日記 | 2016-09-12 公開
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