文禄二年二月一日 私は人を避(さ)く。(避ける) 君子は文(ぶん)を以って友を会(かい)し、友を以って仁を輔(たす)く(論語 顔淵) 士として文(詩書礼楽)に通じていないで、人と交わっても恥をかくだけではないか。 だから… [続きを読む]
文禄二年一月二七日 小西行長籠る平壌城を落とした李如松軍率いる明の大軍は、首都ソウル・漢城(ハンソン)に向けて南下。 漢城に集結していた日本軍は李如松軍を迎撃すべく、真っ暗な早朝、漢城からほど近い碧蹄館(ピョクジェグアン… [続きを読む]
6月20日 一人じゃ何もできない。何故そんな勘違いを? 朝鮮を救うべく明の大軍四万が、小西行長籠る平壌城を攻撃した。釜山に上陸して以来、破竹の勢いで北上した小西軍はここに来て敗退。ソウルの日本本営まで敗走した。 その小西… [続きを読む]
10月11日 朝鮮奉行として大谷吉継と渡海した私は今、首都ソウル・漢城(ハンソン)にいる。 今年四月まで漢城には朝鮮国王がいたが、日本軍が制圧する前に平壌に避難。民衆はそのあと、国王と朝廷が国を捨たと王宮に放火した。 私… [続きを読む]
9月11日 私が朝鮮奉行として、大谷吉継、増田長盛らと共に、第一軍の小西行長が制圧したソウル・漢城に着陣したのが半年前。 この時、既に小西行長らの軍はソウルを北上して平壌を制圧、平壌城にいた。明への進撃も目前だった。 し… [続きを読む]
2月23日 大谷吉継。 今、世界は大航海時代で、ポルトガル人、スペイン人などは日本にもやって来て、この国にキリスト教及び鉄砲を伝えたのは周知の通りだ。 これにより、この数十年余りで、日本のキリシタンの数は急激に増大し、鉄… [続きを読む]
1月19日 今、朝鮮の、罪のない、多くの人々が戦火に苦しんでいる。 私は、私一人でも朝鮮侵攻に反対すべきであった。それが太閤殿下の本当の臣というものだ。 しかし私は主戦派の空気に流された。終始周りに同調しているだけだった… [続きを読む]
6月5日 私は今日、小西行長と一緒にらい病を患った大谷吉継の見舞いに、越前の大谷の城を訪ねた。 大谷は比較的元気だったので城の庭にござを敷いて三人でプチ茶会をやった。 「6月になっても綿毛になったタンポポって結構残ってる… [続きを読む]
2月10日 今日、大谷吉継に大坂城の廊下でバッタリ逢った。 「よ、薄ら竹中半兵衛!最近、調子はどう?」と大谷に声をかけられ、「相変わらず武功派からの無視と非難の中にある。」と私は答えた。 「君はどうしてそう、みんなに嫌わ… [続きを読む]
12月31日 大谷吉継が患うハンセン病。このやまいを伝染病だと言って恐れ、大谷を避ける人も少なくない。けれどハンセン病が伝染病というのは全くの誤解なのではないか。 特に根拠はないけれどそう確信した私は先日、大坂城下で大金… [続きを読む]
3月15日 石田三成より竹中半兵衛の方が、温かくて人の気持ちがわかる。 石田三成より豊臣秀長の方が、頼りがいがあって安心できる。 秀吉様の軍師であった竹中半兵衛様と、秀吉様の弟君であった豊臣秀長様。最近の私は、既に亡くな… [続きを読む]
11月7日 五奉行である、浅野リーダー、増田殿、長束殿、前田殿と私は、全国から大坂城に届いた数々の願や書状を、破損や紛失した時の控として、本日も手分けして書き写していた。 相変わらず私への中傷の文も多く届いていた。「石田… [続きを読む]
8月29日 五奉行である、浅野リーダー、増田殿、長束殿、前田殿と私は本日、各地の大名から大坂城に届いた様々な書状を、破損や紛失した時の控として、手分けして書き写していた。 その中に「利休や蒲生氏郷を葬ったのは石田三成」と… [続きを読む]
7月7日 今日は早朝から、五奉行である浅野リーダー、増田殿、長束殿、前田殿、私とで今宵の大坂城七夕祭りの準備をした。 全国の諸大名や奥方からたくさんの短冊が届いたので、これを手分けして笹に結びつけていった。 「恋の戦国マ… [続きを読む]
4月12日 五奉行である、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と私は本日、東日本大震災の救援物資を、東北の伊達政宗殿宛てに送ることになった。 「政宗殿に一筆、手紙を添えようと思うのだが。」と浅野リーダーが筆を取… [続きを読む]
2月24日 五奉行として忙しく働く私は、取っていなかった正月休みを今頃いただいた。 この休みを利用して私は、家臣の蒲生郷舎(さといえ)を連れて、大坂城から大谷吉継の居城、福井県の敦賀城を訪ねた。しかし友人の大谷は留守で… [続きを読む]
9月28日 五奉行である、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と私は本日、尾張国に乗り込み太閤検地を実施した。 「土豪らに従属していた百姓は、太閤検地により我々から土豪のものではない、自分の耕地をやっと手に入れ… [続きを読む]
7月6日 今日は五奉行である浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と、私で明日の大坂城七夕祭りの準備をした。 全国の諸大名からたくさんの短冊が届いたので、これを手分けして笹に結びつけていった。 「亡き輝宗様のモノ… [続きを読む]
5月11日 五奉行である、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と私は今日、伊達政宗殿が統治する陸奥国に乗り込んだ。 「ヒトの国さ、ズカズカ入って検地とは、感じわるいべ。」と政宗殿が抗議してきた。浅野殿と増田殿は… [続きを読む]
2月22日 今日は五奉行定例会議があって、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と、私が大坂城の一室に集まった。そして皆で、来月の大坂城雛祭りの準備をした。 「あ、この雛人形、腕が折れてる。」と雛人形を箱から出し… [続きを読む]
12月23日 今日は五奉行定例会議があって、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と、私が、大坂城の一室に集まった。そして皆で、大坂城から全国の諸大名に出す、戦国年賀状をせっせと書いた。 「明日の五大老定例会議の… [続きを読む]
9月25日 今日は五奉行定例会議があって、浅野長政殿、増田長盛殿、長束正家殿、前田玄以殿と、私が、大坂城の一室に集まった。そして来月行われる大坂城大運動会について話し合った。 「当日、大坂城に掲げる、「第三回大運動会」の… [続きを読む]
8月30日 今日は五奉行総選挙の日だった。結果は、浅野殿、増田殿、長束殿、前田殿、私が連続当選、メンバーは今回も変わることはなかった。 この五人の他に、大谷吉継も立候補していたのだが落選。当選者の誰もがひとり500票以上… [続きを読む]
7月4日 大坂城の私の仕事部屋に、今日、いきなり大谷吉継がやって来た。「三成と同じ五奉行の増田殿が風邪ひいて休んでるって聞いたよ!それで五奉行の仕事を手伝いに来たんだ。」と大谷は目を輝かせて言った。 「わざわざありがとう… [続きを読む]
5月14日 大谷吉継から私宛てに、「河童が人間に恋する話」という大谷自身が書いた物語が届いた。 「河童が城を去らねばならない、12時の鐘が鳴りました。「私には持病があり、皆、感染するのを恐れ、私とダンスを踊ってくれたのは… [続きを読む]
2月18日 今日は大坂城に友達の大谷吉継が、福井からやって来た。何かと思えば、 「今日は私のペットであるアライグマの荒さんのおべべ(服)を買いに大坂に来たんだ。」と大谷は言った。そして迷子になるといけないからと、私に荒さ… [続きを読む]
1月19日 久しぶりに、大坂城代表として、いくさに出ることになった。太閤殿下の命で、豊臣家に従わない遠方にある大名家を、倒さなければならなかった。(注:関ヶ原の戦いとは無関係。) 大坂城から100キロ離れた、各国の諸大名… [続きを読む]
12月24日 小西行長から私の元へ、書状が届いた。今日は小西が憧れる異国にとって、何か特別な日らしい。皆で何かを祝い、更に皆で思い思いの品を交換しあう。それに習って小西が、私の為に、下記のことばを贈るという。私は何がなん… [続きを読む]
11月13日 少年時代、私は、お寺で勉強していた。その寺に、鷹狩りで汗をかかれた秀吉様が立ち寄り、私は三杯のお茶を差し出した。私の気の利いたお茶の出し方に、秀吉様は感動して、私は秀吉様にスカウトされ、今ここ、大坂城に勤務… [続きを読む]
11月1日 人気が出ると叩かれる。出る杭は打たれる。それは私の宿命だから、昨日の日記で黒田官兵衛殿に、何を言われようが痛くもかゆくもない。だけれども、荒木村重って、誰ですか。今の私には思い出す心の余裕がない。 それは太閤… [続きを読む]
10月11日 明日は豊臣家主催の戦国運動会。今年の実行委員長は、私でなく同僚の増田殿である。今日の午後、大坂城の戦国運動場に足を向けた。ほとんど、準備ができていた。私は全国の大名が座る、戦国テントに目を向けた。え?何この… [続きを読む]
9月1日 私は、やっと大坂城から戦国夏休みをいただいた。そこで、福井県に住む、友人の大谷吉継(よしつぐ)を訪ねることにした。ハンセン病を患わっている彼が、症状が重くなってはいないか、私は心配であった。 大谷の屋敷まで、家… [続きを読む]
7月29日 大坂城に、太閤殿下、秀吉様へ諸大名から、戦国お中元が届いた。その中身は、豪華絢爛な屏風、異国のワインという飲み物、時を刻む時計などである。去年、毛利家から届いた真夏のりんごをしのぐ、高価なものばかりである。 … [続きを読む]
6月28日 今日は大坂城に久しぶりに市(福島正則)がやって来て、大坂城の廊下で私は彼に会った。私は市に挨拶をした。すると市は、「佐吉(三成)よ、今の時代、バカキャラでないと人気が出ないぞ。そんなわけで、佐吉よ、馬鹿になれ… [続きを読む]
4月30日 今日私は、大坂城の経理担当の長束正家(なつかまさいえ)殿に相談を持ちかけた。 「長束殿、先日私は堺に行った時、大坂城に必要な筆や書状に使う紙などの文房具を安く大量に仕入れました。これを大坂城の経費で落としても… [続きを読む]
3月29日 ちょっと絵文字の中で、気になったんだけど、これ→ 食べ物の上に火をつけるって、どういうことなのだろう。行儀が悪い、世の中が乱れる。というか、やけどしたら危険だ。早速、全国の諸大名に食べ物の上には火をつけないよ… [続きを読む]
2月20日 今日の夜は太閤殿下の長浜城時代からの古い家臣団、特に尾張出身の家臣らが集められ、大坂城で薪能(たきぎのう)が行われていた。私自身は太閤殿下の家臣には珍しい近江出身で、尾張衆にはことごとく、何故か嫌われていた。… [続きを読む]
1月11日 今日は全国の諸大名が、太閤殿下に新年の挨拶をする為、大坂城に集まった。私は進行役を務め、大広間で諸大名が殿下に謁見し、献上品など渡し終え、殿下は「しゃきち(佐吉)、これでお開きにするかのお。」と仰せられた。 … [続きを読む]
11月25日 今日は大坂城に、茨城県から友達の佐竹義宣(さたけよしのぶ)殿が、やって来た。そして私に会うなりいきなり、「現代の人は、日本の万博は、大阪万博と愛知万博だけだと思っている気がする。」と言った。そして 「バブル… [続きを読む]
10月29日 私は今、大坂城を離れて自分の国の近江、滋賀県にいる。私は大坂城のことで忙しく、近江のことは家臣に任せている。私は近江の様子が知りたくて、城下を隈なく歩き周った。随行に家臣の蒲生郷舎(がもうさといえ)をつけた… [続きを読む]
9月6日 今日、大坂城に毛利輝元殿から荷物が届いた。開けてみたら、箱の中にギッシリとリンゴが詰まっていた。「今年、真夏に収穫したリンゴです。太閤殿下(秀吉)に献上致します。」と文が添えられていた。輝元殿は去年の初冬、桃を… [続きを読む]
7月17日 あの日、長浜で、太閤殿下が私を見つけてくださった。私はずっと誰かに、探し出してもらいたかった気がする。疲れていた殿下がたまたま立ち寄った寺に、私はいた。私はその寺で学問をやっていた。私は、突然現れた殿下の疲れ… [続きを読む]
6月12日 今日、大坂城の廊下を同僚の増田殿と歩いていたら、増田殿が、前を歩いていた淀のお方さまの羽織のすそを足で踏んづけてしまわれた。 淀のお方さまは、後ろを振り返って、ギロリと増田殿を睨んだ。増田殿は「違います、違い… [続きを読む]
5月14日 福島正則からアンケートバトンを大坂城で今日、もらったのでこれに答えようと思う。 質問1:初恋はいつ?太閤殿下に出会う前、私は長浜の寺で学問をしていた。その時、寺の近くに住んでいるおなごに思いを寄せられて、一緒… [続きを読む]
4月25日 宇喜多家の財政問題をきれいに片付けてくるように、太閤殿下から私に命が下り、今日、備前国に到着した。烏城と呼ばれる真っ黒な色で統一した城がとても美しい。と、思っていたら、城主の宇喜多秀家様自ら私を出迎えてくださ… [続きを読む]
4月5日 今日、大坂城で淀君に「最近、わらわとそなたの間が噂になっているが、そなたはどう思うか。」と問われた。 私は「はあ・・・どうとも。」と答えた。淀君は「はあ・・・どうとも。」と私の言葉を反芻し、更に「はあ、どうとも… [続きを読む]
3月6日 私は加藤清正や福島正則にとことん嫌われている。他にも私のことが気にくわない連中は山のようにいる。 私は日々、誠実に生きているのにこのザマである。そして、どんなに多くの武将を敵に回しても、三成殿はきぜんとしていて… [続きを読む]
1月31日 太閤殿下の飼われている白い猫がいなくなってしまった。大坂城にいる家臣総出で、殿下の白い猫を探し回った。探してから1時間後、梅の木の下で殿下の猫が寝ているのを私は見つけた。 猫を抱き寄せた瞬間、櫓の下で、私の噂… [続きを読む]
12月30日 今日は大坂城大掃除の日で家臣総出で、大坂城のありとあらゆる所をピカピカに磨いた。私は太閤殿下の黄金の茶室を担当した。壁が少しよごれている部分を、布でふき取ったら、「ビリッ」。金がはがれてしまった。 その時、… [続きを読む]