6月16日 今川義元殿が織田信長に桶狭間で討たれてから、八年。 今や武田・今川・北条の三国同盟は完全に壊れて、天下制覇を目指す武田信玄殿は、徳川家康と今川領を東西から切り取る密約を結んで、駿河に出陣した。 その為、私は国… [続きを読む]
9月2日 今川義元殿と武田信玄殿と私とで結んだ三国同盟。 この同盟を結んでからというもの、私は思う存分、面白いように、北関東に領土を広げることができた。 思いがけずピンチの時は、義元殿や信玄殿が援軍を送ってくれた。逆もま… [続きを読む]
7月28日 「尾張のウワサの若い人、知ってる?」 と私は小田原城内の一室で昼食を食べている時に、家臣で義弟の北条綱成(つなしげ)に言った。 「織田信長とかいう、片肌出して、豹柄の半袴で朱鞘の太刀を下げてるド派手な、あの青… [続きを読む]
6月18日 喉から手が出る程、関東全土が欲しいけれど、今の私には現状維持で精一杯。 他国の大名や豪族を蹴落として、時に蹴落とされて、毎日競争ばかりしている。そんなLOOPを生きていると息もできない程、ひどく疲れる時がある… [続きを読む]
10月13日 先月、私の息子、長男の新九郎が夭折してしまった。 新九郎。その名を名乗る者は、北条家当主になることを運命づけられていた。祖父も父も、そして私も、幼き頃は新九郎と呼ばれていた。 「殿。」気付けば綱成が私の部屋… [続きを読む]
7月23日 同い年の綱成とは何もかもが違う。私は神奈川県生まれで、綱成は静岡県生まれ。 家臣の綱成とは何もかもが違う。私は控え目で落ち着いた青色が好きだけど、綱成は全てを照らす様なパーッと明るい黄色が好き。 義理の弟の綱… [続きを読む]
6月21日 「関東全域を制圧するどころか武蔵国(東京・埼玉)さえ、まともに治められない。もう疲れたよ、パトラッシュ・・・」と私は机の上で開いていた検地帳を閉じ、綱成の肩にもたれた。 「私はパトラッシュではありません。」と… [続きを読む]
5月2日 私は今日、綱成と叔父の幻庵様と、河越城代の大道寺盛昌と小田原城で夕食を食べた。「自分の国さえよければいいなんて思わないけれど、余震が最近、東北から関東に南下してきているよね?」と私は蒼ざめ、お茶漬けを食べている… [続きを読む]
3月18日 私は以前、二十三という若さで病死した実弟・為昌(ためまさ)を弔ふ為、小田原城下に本光寺という寺を建立した。 今日は寺の修理のことで住職に話しがある為、本光寺を訪ねると、為昌の墓前で静かに手を合わせる綱成を見つ… [続きを読む]
2月10日 私は、反北条の態度を崩さない武蔵国の豪族・三田氏と太田氏に、いつまでも手こずっていた。 今年も去年みたく、前に一歩も進めないかもしれない。屋敷でひとり、そんな不安に怯えていた時、家臣の北条綱成(つなしげ)がや… [続きを読む]
12月5日 越後国の上杉謙信が南下し、わが国、相模国の鶴岡八幡宮の神前において、上杉憲政から関東管領職を受け継いだ。 それだけならまだよかった。権威復活ともいえる関東管領・上杉謙信の誕生に、反北条の立場にあった武蔵国の豪… [続きを読む]
10月28日 先日の三国同盟会議で入手した、松永久秀殿の男女の契りの指南書。私は、これを書いた松永久秀という男がふと気になって、綱成に調べてもらった。 「松永久秀殿は奈良県の武将で、永正7年生まれ。殿と私が永正12年生ま… [続きを読む]
9月4日 私は河越夜戦で武蔵国を手に入れたが、武蔵国の人々は北条を簡単には受け入れてはくれなかった。 検地もうまく進まず、武蔵国の有力豪族である岩付城(さいたま市)の太田資正と、勝沼城(東京都青梅市)の三田綱秀は、越後の… [続きを読む]
7月16日 河越夜戦に勝利し、武蔵国を手に入れた私は、税制改革に踏み切った。 そして今日、河越城主の大道寺政繁から文が届いた。それは、新たに設けた税が重すぎて、武蔵国の百姓の多くが他国へ逃げてしまったとの報告だった。 何… [続きを読む]
5月13日 河越夜戦で上杉憲政に勝利した私は、武蔵国を手に入れた。しかし喜びよりストレスが増えた。 武蔵国には、鎌倉時代から続く名門や豪族がたくさんいる。そんな彼等の多くが、数十年の歴史しかない北条家の配下になることは、… [続きを読む]
4月6日 「北条家での生活には慣れましたか。」 早朝、小田原城の馬屋で私は、自分の馬の手入れをしている原虎胤(とらたね)殿を見つけて、声をかけた。彼は、武田家の猛将なのだが、信玄殿のヘンな出席確認が耐えられなくなり、去年… [続きを読む]
1月20日 私は先月、甲斐国からやって来た、武田信玄殿の家臣、原虎胤(とらたね)殿を小田原城に迎え入れた。原殿は、信玄殿のおかしな出席確認がいやになって、甲斐国を飛び出したそうだ。 そして今朝。私が、機嫌良くお茶漬けを食… [続きを読む]
10月27日 小田原城を上杉軍に包囲されて、一か月。北条軍はこれを死守した。大将の謙信は諦め、越後へ引上げた。その上杉軍を我等は、背後から討つことにした。 追撃する北条軍三千を指揮するのは、家臣の綱成だ。私は小田原に残る… [続きを読む]
9月28日 今日からまた上杉軍といくさだ。上杉謙信、ばっちこーい!北条軍の指揮は、同級生の北条綱成(つなしげ)に任せて、私は裏で北条軍1500人分の食事を作ることにしよう。 今日のメニューは小田原お茶漬けリゾット!お米を… [続きを読む]
8月27日 先日、信玄と義元殿と善得寺で同盟を結んだ。その後、ふたりはすぐ帰って行ったが、私は善得寺に泊まり、周辺の名物を見て回ったりして遊んだ。 小田原へ帰る本日の早朝、寝ていた私は、顔がひんやりして目を開けた。上杉謙… [続きを読む]
7月1日 関東の覇権を巡って、上杉謙信の軍勢と北条軍は戦っていた。私は裏で今日も北条軍千人分のハンバーグをこねていた。すると私の幼なじみで家臣の北条綱成(つなしげ)が、大きな荷物を抱えてやって来た。 「先程、上杉謙信から… [続きを読む]
6月14日 私は今月も、関東の覇権をめぐって、上杉謙信といくさをしている。いくさの指揮は幼馴染みの北条綱成に任せ、私は裏で朝から北条軍1000人分の戦国ハンバーグを、夕飯に間に合うように作っていた。 こねたハンバーグを焼… [続きを読む]
3月17日 私は今、関東の覇権をめぐって、上杉謙信といくさをしている。両軍戦闘開始から、五時間が経過。やっと北条軍が優勢になった。やれやれ。いくさの指揮は幼馴染みの北条綱成に任せている。私は裏で朝から北条軍1000人分の… [続きを読む]
2月17日 今日は最近、関東でブームになっている今川義元殿が焼く、今川焼を重臣たちと小田原城で試食することになった。 「この今川焼を食べると、お肌がつるつるになるみたいですよ。」と私の幼馴染みの北条綱成(つなしげ)は皆に… [続きを読む]
1月3日 今日は初詣でに近くの神社に出かけた。おみくじをひいたら、小吉だった。去年もおととしも、もうずっと、私のおみくじは、地味に小吉な気がする。大吉でないなら、いっそ、凶でいい。小吉をひくくらいなら、凶の方が、私も覚悟… [続きを読む]
11月21日 私は今日、小田原城を出て、幼馴染みで家臣でもある北条綱成(つなしげ)の玉縄城へ行った。綱成は、北条家当主である私のいない所で、ハメを外しているのではないか、私は偵察しておきたかった。 玉縄城につくと、綱成の… [続きを読む]
10月29日 はあ、何をどうすれば私は多くの人に認められるのだろう。日記にしても、武田信玄と上杉謙信の日記の方が、私の書くものより、人気があるようだ。理由は、彼等が元々有名人だから。それだけ。と、思うことにしている。 &… [続きを読む]
9月25日 今日は小田原城で、家臣の北条綱成(つなしげ)に「なんで我等北条は、武田や上杉より人気がないのだろう。」と私は相談した。 「北条といえば、鎌倉時代の北条氏を思い浮かべる人が多いのでしょう。我々戦国時代の北条は、… [続きを読む]
8月29日 家臣の清水が、城下から、おなごに大人気の小田原WOMANという戦国雑誌を、また買ってきた。私は、もーいいよー、それ飽きたわーと言うと、清水は「今月号の記事は、北条幻庵様のインタビューですよ。」と言った。私は、… [続きを読む]
7月21日 今日もまた、家臣の清水におなごの間で人気の、小田原WOMANを城下で買って来てもらった。今月号は、私のインタビューが掲載されているはずなので、わくわくしながら、ページをめくった。 「今月の特集:北条氏康様に聞… [続きを読む]
6月19日 今日は城下から、家臣の清水に頼んで、「小田原WOMAN・6月号」を入手した。今月は、先月号で、恋人にしたいヒトに選ばれた、私の家臣・北条綱成(つなしげ)のインタビューが、掲載されていた。 「私は、北条氏3代目… [続きを読む]
5月11日 今日は家臣の清水が「殿、城下でこんなものが、おなごの間で、出回っておりました。」と一枚の紙を私に見せた。「小田原WOMAN5月号:小田原のおなご100人アンケート結果発表!・・・へーおもしろい。」と私は興味し… [続きを読む]
12月13日 先日私の妹が、自分の旦那が浮気しているかもしれないと、私に相談を持ちかけた。妹の旦那は、北条家の重臣中の重臣、北条綱成(ほうじょうつなしげ)である。彼と私は血のつながりはない。しかし彼とは同い年の幼なじみで… [続きを読む]
11月18日 今日の風林火山、氏康キターッ!小田原キターッ!綱成もキターッ!お待たせ、北条ファンの皆様、と喜びたい所だけど、今日も所詮、脇役だった。今日は私の城の小田原城に、長尾景虎(上杉謙信)が攻めに来た話。 でもって… [続きを読む]
10月28日 今日の大河ドラマ風林火山は、コイバナぽかったね。コイバナとか言っちゃった。英語で言うと、ラブストーリーね。その前に、死んでしまったミツやんのこと忘れている人物が、多過ぎ!と思ったら、平蔵が自分の娘に「ミツ」… [続きを読む]
9月28日 埼玉を馬鹿にする者、埼玉に泣く。北条家の本拠地は、小田原だけれども、埼玉も私の大切な領土である。埼玉の領民は、千葉にだけには負けたくありませんと言う。わかっている。千葉には里見八犬伝で有名な、里見氏がいる。祖… [続きを読む]
9月16日 今日の大河ドラマ風林火山は、数少ない北条ファンの皆様、お待たせしました!って感じだったね。そして北条シーンになると、いつも小田原城に勘助がやって来るのが、お約束になってきたみたい。別にいいんだけど(笑)。今日… [続きを読む]
6月11日 またお前か・・・、って言うけど、「北条氏康を応援しよう!週間」なんだから仕方ないのだよ。(←?)昨日の大河ドラマ風林火山は河越夜戦で私が主人公でした。 その中で私は、山本勘助殿に結構、力を貸してもらっていたけ… [続きを読む]
6月5日 本当は今日、昨日のお約束で河越夜戦の話をするはずでした。しかし、家臣の北条綱成と話しあった結果、このブログで交互に河越夜戦、書いていたらとても1週間じゃ終わらないと。というわけで、戦国未満で綱成と私で、河越夜戦… [続きを読む]
6月2日 私はお茶漬けのお湯の入れ方がうまいことで、有名である。目を閉じていても一発で、ちょうどいい量のお湯をお茶漬けに注げる。私の息子・氏政はお茶漬けのお湯の入れ方が下手くそで私のように一発で、ちょうどいいお湯の量を注… [続きを読む]
5月3日 今日は現代だと、憲法記念日だね。戦国時代は、各国ごとに法があって、いわゆる分国法なんだけど、私の祖父が作った北条家の分国法、北条早雲二十一箇条が結構有名なんだ。その中身は厳しくて、夜は午後8時消灯、朝は4時に起… [続きを読む]
4月15日 今日の大河ドラマ風林火山も私の出る幕はありもしなかった。私は大河の中の平蔵とヒサさんの恋の行方が気になる。信玄が負けようが勝とうが私には関係ない!とてもどうでもいい。平蔵とヒサさんの恋の成就!それしか興味がな… [続きを読む]
3月17日 「氏康は朝、酒を飲む。理由は朝飲むと飲みすぎず、仕事に影響がでないように、適度な分量で飲むことができるからだ。」というのは、後世の人が作った嘘。確かに朝、酒を飲んではいたが、朝、酒を飲むくらいのことでそんな能… [続きを読む]
2月8日 私はあなたを知らない。あなたも私を知らないかもしれない。 私は実は上杉謙信や武田信玄のライバルだったりするのだが、まるで知名度が上がらないのである。だが有名になんかあなたも私もなる必要はないのである。誰かの、た… [続きを読む]
12月31日 今日で今年も終わりだ。わしは「始まり」という言葉より、「終わり」という言葉の方が好きだ。それは満開の桜を見るより、満開の桜がわあっと散っていく、その姿がきれいだと思うこととなんだか似ている。 今年は武田、上… [続きを読む]