北条氏康くんの日記:第39回 記憶の中の北条為昌
3月18日
私は以前、二十三という若さで病死した実弟・為昌(ためまさ)を弔ふ為、小田原城下に本光寺という寺を建立した。
今日は寺の修理のことで住職に話しがある為、本光寺を訪ねると、為昌の墓前で静かに手を合わせる綱成を見つけた。
「為昌が河越城主であった時、綱成は城代として為昌を補佐してくれていたな。」と私は綱成に声をかけた。
「はい。為昌様と私は、武蔵国を貫く鎌倉街道をよく二人で歩きました。その昔、鎌倉に有事がある際、武蔵国の御家人は『いざ鎌倉』と言って急ぎ鎌倉へ参集し、鎌倉北条家の為に働いた。
この道が『いざ鎌倉』ではなく『いざ小田原』に生まれ変わればいいと、為昌様が笑って話されていたことをよく思い出します。」
「そんなふうに為昌のことを思い出してくれるのは、今の小田原北条家中で綱成くらいだろう。」「為昌様は私の最後の主君でしたから。」
「はて。為昌が綱成の最後の主君なら、私は綱成にとって何であろう。」「差し詰めライバルでしょうか。」と綱成は冗談混じりに言った。
「ライバルか。それも悪くない。」と私は笑った。そして『いざ小田原』が現実のものとなるよう、為昌の墓前で願い、そっと桃の花をたむけた。
カテゴリ:北条氏康くんの日記 | 2011-03-11 公開
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