11月20日 いくさというのはそれまで、農繁期に休戦、農閉期に戦う性格のものであった。 例えば以前私は、越後から軍を率いて北条氏康殿の小田原城を包囲したことがある。 北条方の守りは固く、そうこうしているうちに季節は雪も解… [続きを読む]
2月25日 世の中、テクニックで溢れてしまったけれど、テクニックなんてなくとも一歩一歩正しく歩めば、遅ればせながら成功がきちんとついてくること、私はこの人生をかけて証明したい。 きれいごとに聴こえるだろうか。 それもいい… [続きを読む]
1月10日 私は、埼玉の掃除のおぢちゃんこと上杉憲政殿から有り難く関東管領の職を譲り受けたので、正月早々、今年は必ず関東を平定するぞ!と意気込んだ。 しかしその直後、関東平定などという大きな目標を掲げた自分が非常にコミカ… [続きを読む]
6月6日 私が今日も一人で、春日山城のトイレの掃除をしようとした時、既にトイレ掃除をしている男がいた。誰かと思えば、北条氏康に埼玉を奪われ、今は私の春日山城で暮らしている上杉憲政(のりまさ)殿だった。 「埼玉の高貴なお方… [続きを読む]
10月3日 松永久秀殿がいくさで東大寺の大仏殿を焼失させてしまった。心を痛めた私は一人、新潟からはるばる奈良を訪ねた。 「よッ、そこの独身男、久しぶり!」振り向くと、松永久秀殿が大仏殿の跡地で朝日を浴びながら戦国ラジオ体… [続きを読む]
7月11日 北条氏康に敗れ、我が国、新潟県に逃れて来た埼玉県の上杉憲政殿。私は有難いことに、憲政殿から関東管領の職を譲り受けたので、これからは北条氏康の醜い野望から武蔵国である東京都と埼玉県の人々をお守りせねばならない。… [続きを読む]
3月20日 周りの皆の食料にも思いをはせ、買いだめに走らない。 ソースがはっきりしない、信用できない情報に振り回されない。 春日山城のトイレ掃除は、今日も一人で念入りにやる。 そんな正義の道を今日も邁進する私であった。 [続きを読む]
11月25日 私は今日、人目をしのいで荒木村重殿の有岡城(兵庫県)に侵入した。そして城内の牢獄に幽閉されている黒田官兵衛殿を発見した。 「官兵衛殿、初めまして。上杉謙信と申します。」と私が格子の外から挨拶すると、「は?あ… [続きを読む]
10月10日 私は今日、新潟県からはるばる滋賀県の明智光秀殿の屋敷を訪ねた。 「またあなたですか。今度は何ですか。」と明智殿は、私の突然の訪問に驚きつつも屋敷に迎え入れてくれた。 「明智殿は信長公の命で、松永久秀殿著作の… [続きを読む]
7月9日 深夜、私は屋敷でひとり酒を飲んでいた。その時、何かが落ちる、大きな音が聴こえた。 庭を見ると、北条家の忍び、風魔小太郎殿が倒れていた。私は急ぎ、風魔殿を抱きかかえ、自分の部屋に寝かした。 「私は主君、北条氏康様… [続きを読む]
4月27日 毘沙門天の化身でも構わない。 ※但し上杉謙信に限る。 女に溺れないかわりに、酒に溺れて死んでも構わない。 ※但し上杉謙信に限る。 そして今日も信玄殿には塩を、氏康殿にはコショウを贈っても構わない。 ※但し上杉… [続きを読む]
3月27日 今日の私は、甲斐国の山県昌景(やまがたまさかげ)殿の屋敷を訪ねた。彼は私のライバル、武田信玄の家臣である。 山県殿は小部屋で、同僚の馬場信春殿と酒を酌み交わしていた。「こんにちは!」と私が庭から顔を出すと、「… [続きを読む]
12月30日 「静岡県のここ善得寺に、信玄殿と義元殿と私、氏康が集まって三国同盟会議を開くのは今日で三回目ですね。」「そうね、氏康殿。それにしても信玄殿が持って来てくれた、このほうとう、おいしくて温まるわ。」 「そうじゃ… [続きを読む]
11月18日 「静岡県のここ善得寺に、信玄殿と義元殿と私、氏康が集まって三国同盟会議を開くのは今日で二回目ですね。」「目出度いわね。ねえ、聞いてくれる?尾張の織田信長ったら、自分のお父上の葬儀中に、棺桶に向かって、線香の… [続きを読む]
10月23日 私はまた明智光秀殿が気になって、今宵も彼の屋敷に、ひとり忍び込んだ。「こんばんは、明智殿。あなたは今夜も徹夜で仕事をする気ですか。」と私は明智殿に尋ねた。 「上杉殿はまた性懲りもなくやって来て。」と明智殿は… [続きを読む]
9月29日 北条軍と戦っている私は深夜、北条軍に一人で忍び込んだ。そして、「戦国のマスオさん、こんばんは。」 と、寝ている北条綱成(つなしげ)殿を起こした。綱成殿は私に驚き、「え?あなたはまさか上杉殿?」と飛び起きた。 … [続きを読む]
8月25日 私は早朝から、とある寺の掃除をしていた。廊下の雑巾がけが終え、植木の手入れをしていた時、寺の入口の方から、声が聞こえてきた。 見れば武田信玄、北条氏康、今川義元の三人だった。それは有名武将が、ひとつの寺に集結… [続きを読む]
7月15日 私は今、明智光秀殿の屋敷の庭にいる。庭から明智殿に声をかけた。「上杉殿!何でこんな所に!」と明智殿は驚いた。「深夜残業ばかりの明智殿が、睡眠不足に陥っていないか心配で、こっそり様子を見に来ました。」と私は庭か… [続きを読む]
6月30日 関東の覇権を巡って、上杉軍は北条氏康の軍と今日も戦っていた。いくさの指揮は家臣の宇佐美に任せ、私は裏で豆腐を作っていた。 そこに私の側近の直江実綱(さねつな)がやって来た。「殿、いくさの最中に豆腐なんか作って… [続きを読む]
5月22日 私は今、安土城の門前にいる。そして、明智光秀殿を発見したので、声をかけた。「上杉殿!何でここにいるんですか!」と光秀殿は驚いた。 「あなたが今年も、五月病を患っているような気がして心配になり、ここ滋賀県までや… [続きを読む]
3月24日 今日は織田信長の遣いとして、明智光秀殿がここ新潟県にやってきた。「お久しぶりです。我が主君、信長公から上杉殿に、本日は南蛮菓子を献上致します。」と明智殿は私に言った。 「いつももらってばかりですみません。この… [続きを読む]
2月16日 今年も織田信長の恒例行事、春の大リストラ大会の季節がやってくる。それにさきがけ上杉家では、織田のリストラ対象武将を受入れるカタチで、先日から求人募集をかけた。 上杉家では身分、経験、年齢、性別、なんとやる気も… [続きを読む]
12月3日 最近は若者の活字離れが問題にされている。しかし、別に日常に差し支えない程度に、ことばを知っていれば、私はそれでよいと思う。ことばを多く知っている人間の傲慢さの方が、むしろ私には不快である。 しかしここ戦国時代… [続きを読む]
11月8日 正義に邁進する私は、女性や、身分の低い男性に、希望のあるものは、福田もしくは小沢の名字を与えてきた。 身分の高い男子にだけ名字が与えられるというのは、不公平だと思ったからだ。しかし福田もしくは小沢も飽きたらし… [続きを読む]
10月15日 先日のいくさでは、3時間で、敵の大将をとらえることができた。今日、屋敷で、この30代くらいの大将の首をはねる前に、「そちは、戦国生命保険加入しておるか。」と私は聞いてみた。 「加入してない。それがなんだ。」… [続きを読む]
9月11日 今日は明智光秀殿が、織田信長の献上品を持参し、ここ越後国(新潟県)にやって来た。私の家臣は織田家イチ、頭のキレる明智殿みたさに、屋敷の大広間にぞくぞくと集まった。 信長の献上品は、真っ赤なマントだった。私は早… [続きを読む]
8月3日 今日は隣国にいくさに赴いた。朝9時からいくさを開始して、お昼休憩を1時間、足軽たちに交代でとらせ、夕方5時30分になって、やっとお味方が優勢になってきた。敵の重臣たちの首を取り、いよいよ敵の大将の首まで、あと少… [続きを読む]
7月5日 今日、私はわが城の広間に家臣を集めた。そして織田家からの使者としてやってきた、信長の重臣・丹羽長秀殿と対面した。 丹羽殿は信長から私への、献上物を届けに来た。しかし丹羽殿の真の目的は、上杉の内部偵察なのであろう… [続きを読む]
6月4日 正義に邁進する私は、今日突然、格差社会に憤りを感じた。私自身は、上流人間であるが、努力しても報われない、機会不平等が越後国にあってはならない。ということを家臣の宇佐美に言った。 「殿、その前に、下流の人の特徴の… [続きを読む]
5月12日 正義に邁進する私は、今日突然、身分の低い者や、おなごは、自分の名前に名字をつけてはいけないことに、いきどおりを感じた。基本的に、身分の高い男子だけが名字が許されるのは、おかしい。どういう理屈なのだろう。 私の… [続きを読む]
4月10日 正義の道を邁進する私は、今日突然、エコに目覚めた。早速「上杉家は環境に優しい国づくりを目指してます。」と諸大名に触れを出し、私はエコ武将になることを決めた。 織田信長のように、鉄の軍艦を何艘も作ったり、南蛮風… [続きを読む]
3月9日 実は、この武将日記で使っている、ブログ人というブログサービス(現在はwordpress)はなんと、容量に制限がある。他のブログサービスでは、余り見られない制限である。そんな訳で、このブログで多くの武将が、自分の… [続きを読む]
1月26日 織田信長?勿論知ってる。私の時間の使い方について、信長は侮辱しているらしい。 所で、手取川の戦い(上杉VS織田)といういくさで、私は信長に勝利したことがある。何故、あんな弱い軍団に他家が滅ぼされていったのか、… [続きを読む]
9月10日 「あ、武蔵坊弁慶だ!」と最近よく言われる。どこで言われるかというと、出陣の際、新潟を出て、よその国の村人にばったり出くわした時。そりゃあ、頭巾かぶってます。弁慶とピュジアル的にかぶってます。でも今は戦国時代。… [続きを読む]
8月16日 お盆休みも終わったら、そなたは気付く。会社に行ったら、お盆休み中にたまった仕事の山が、自分の机にどっさり積まれていることを。僕とお嬢ちゃんは気付く。自分のヘチマの観察日記が真っ白なことを。つーかヘチマが育って… [続きを読む]
6月18日 昨日、大河ドラマ風林火山、待望の?!ガックン謙信登場。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 あ、寝てしまった。酒が入りすぎた。なんの話しだっけ。嗚呼、マリスミゼルの話しね。マリスミゼル、あれ… [続きを読む]
5月10日 島津義弘殿(今は日記書いてません)からアンケートバトンを受け取った。島津義弘って誰だっけ?まあよいか。 質問1:初恋はいつ?私は恋愛はクソだと思っている。以上。 質問2:思い出の合戦は?私は、ほとんどの合戦、… [続きを読む]
4月12日 織田信長公より狩野永徳筆の洛中洛外図屏風が私に送られてきた。豪華絢爛の屏風に私は大変満足だったが、同時に寂しさも感じた。ここに描かれている京は今の荒れ果てた京ではなく、過去の栄華を誇った京であったからだ。 今… [続きを読む]
3月12日 今日の越後は3月なのに猛吹雪である。一歩も外に出れない程、ひどい天気である。私はひとり、屋敷で吹雪の音を聞きながら毘沙門天を彫っていた。 が、なんだか短足気味の毘沙門天になってきた。美しくない!!!ガクトに怒… [続きを読む]
1月13日 私は結婚しない。そんな私に今日、家臣が「結婚しないのはともかく、恋をしたくはないのですか。」と聞かれた。したくないとははっきり返答できなかった。越後国を豊かにすることを忘れてしまうくらいの恋。でもそんなものが… [続きを読む]
12月8日 今日も家臣から結婚しろ~、結婚しろ~の催促。私は結婚しない今時の人間だ。私が結婚しないから、私のことをホモだとか、実は女だとかいうやからもいるらしい。しかしそんなことに私は惑わされたりしない。私は、越後国をど… [続きを読む]