文禄四年七月八日 「淀の方様がまたも男子を出産された?!」 一昨年の冬、豊臣秀保様と私は大和郡山で、伏見に遣いに行っていた者から聞いた。 「それは確かか。」 私は訝(いぶか)しんだ。 「太閤様はこの報せを名護屋で聞き、八… [続きを読む]
文禄四年七月八日 朝鮮とは一応、休戦中である。だけど、一体どんな状態が戦時下であり戦前であるのだろう。 文より筋肉が尊ばれている。 間違っていることに気付かないフリして過剰適応している。 あるいは、もっと単純に―― &n… [続きを読む]
文禄四年七月八日 高野山から下山し、伏見城で太閤秀吉公に対面した。 「遅かったではないか。」 太閤は扇子で跪(ひざまず)く私の肩を叩いた。 「申し訳けありませぬ。」 私は深々と頭を下げた。 「高野山で何をしていた。」 「… [続きを読む]
3月17日 太閤から伊予国を与えてやると言われている。 なんという光栄。流石藤堂高虎。おまえもこれで晴れて大名だ。 なんて素直に喜ぶほどバカじゃない。 かの地は水軍の国。即ちもう一ペン、水軍将として朝鮮水軍と戦ってこい、… [続きを読む]
12月23日 「私は別に構わないのですが、あなたはこのまま引き下がれるのですか。」 高野山に引き籠る私の元を訪れた太閤の側近・浅野長政殿は言った。 「どういうことですか。」 宿坊の縁側で私は尋ねた。 「朝鮮水軍将・李舜臣… [続きを読む]
10月8日 「高虎殿。」 高野山の私の元に突然、一人の男が訪ねて来た。 「長吉(ながよし)様?」 赤く色づき始めた山林の中で、私は驚いた。 「お久しぶりでございます。」 彼は豊臣筆頭奉行、浅野長吉(長政)。 「どうしてこ… [続きを読む]
8月26日 先月、太閤秀吉公の使者がここ高野山にやって来た。要件は、太閤が私を大名に取り立てたいと仰せのゆえ下山せよ、ということであった。 大名…それは若い頃からの願い。幾度となく主君を変えてきたのも、卑しい身分から成り… [続きを読む]
6月11日 「そんな、嘘だろ?!」 高野山で私が大声を上げると、その声は山々に鳴り響いた。 「なぜ李舜臣が王命によって朝鮮水軍を追われなければならないんだ!」 「何でも左水使(チャスサ)李舜臣は、反派閥の右水使(ウスサ)… [続きを読む]
3月29日 主君・豊臣秀長さまと秀保さまを立て続けに亡くし、お仕えする人もいなくなった私は、高野山に引きこもった。そして、初めのうちは、ず――っと眠っていた。 眠ることに飽きると、高野山の移りゆく自然をず――っと観察して… [続きを読む]
12月1日 アンニョンハセヨ。今日、戦国デイズは開設11周年を迎えました。カムサハムニダ!ありがとー って何故朝鮮語を使っているんだ。それもこれも働かないで、高野山に一人引きこもって、李舜臣のことばかり考えているせいだろ… [続きを読む]
10月10日 私は今、高野山に一人、引きこもっている。 半年前まで元主君・豊臣秀長様の養子・秀保様の後見役だった。 以前より秀保様は疱瘡を患っていたので、湯治のため吉野の十津川の温泉へ参られた。そのとき私は大和郡山城にあ… [続きを読む]
8月11日 生きて日本に帰って来れるとは思わなかった。 朝鮮から帰国後、私は真っ先に、京の大徳寺に眠る元主君・豊臣秀長さまの墓所に向かった。 「私の死をきっかけに限界状況を経験せよ。 私は所詮、太閤の弟。それ以上でもそれ… [続きを読む]
6月6日 嫌われることもできないだろう。 君にとって、私は数ある雑魚の一人。 ライバルなんて夢のまた夢。 君と対等である為に、私に何が足りなかったのだろう。 学?勇気?人? 確かに私は最強にダサかった。文禄元年に日本軍が… [続きを読む]
1月24日 大切なものは何があっても手放したくない。 だけど君は別に私のもんじゃないし、意に反して忍び寄る別れの時。 去年の四月に朝鮮侵攻が始まって以来、敵に負け続けた我ら日本水軍。だけど各地に義兵が起こる… [続きを読む]
12月8日 恐らく私ほど李舜臣のことを知っている者はいないだろう。 そう、左水使(チャスサ)のことは、誰よりもわかっている。 海の上で彼と最初に戦ったのは私なんだし、部下と呼吸をぴったり合わせて海の上で見事な陣形を敷くこ… [続きを読む]
10月17日 それまで私は、水軍とは無縁の世界に生きていた。 一年半前まで、太閤の弟・秀長様の側近だった。 秀長様は、兄・太閤の朝鮮出兵に強く反対していたが五一歳の若さで閉眼。 秀長様の旧領は、養子の秀保様が譲り受けたが… [続きを読む]
9月5日 太閤の命で日本の大軍が朝鮮に侵攻して約半年。 日本水軍は、全羅左水使(チョルラチャスサ)・李舜臣率いる朝鮮水軍に連戦連敗。 陸において緒戦は日本軍優勢だったが、各地で義兵が起こると次第に劣勢に陥った。更に明が朝… [続きを読む]
8月2日 先月の初旬、功名を焦った脇坂安治が手勢の水軍のみで釜山から巨済島へ出撃。 李舜臣率いる朝鮮水軍は、脇坂の水軍を閑山島で、脇坂の救援に駆け付けた九鬼嘉隆隊長と加藤嘉明殿の水軍を安骨浦で撃破した。 隊長と加藤殿は、… [続きを読む]
藤堂高虎くんの日記:第6回 左水使様と対等であるためにも、きっと
6月23日 功名を焦った脇坂安治が、巨済島へ手勢のみで出撃。 これを知った九鬼嘉隆隊長と加藤嘉明殿が急ぎ救援に向かったけれど、三日経ってもここ釜山日本本営に何の報も届かない。 今まで私含め日本水軍は、李舜臣率いる朝鮮水軍… [続きを読む]
4月28日 文禄の役が始まって私は水軍の将として出撃するも、全羅左水使・李舜臣に連敗。 そんな状況を見兼ねた太閤殿下は、脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤嘉明の三人に朝鮮水軍の撃滅を命じた。 殿下の命を受けて釜山(プサン)日本本営… [続きを読む]
3月7日 文禄の役が始まって二か月余り。 私を含む日本水軍は、今日まで李舜臣率いる朝鮮水軍と七回戦ったが、一度も勝利を挙げたことはなかった。 そんな日本水軍を見かねて太閤秀吉様は、ソウル近郊の龍仁(ヨンイン)で朝鮮陸軍を… [続きを読む]
12月18日 日本人でない者、男でない者、異性愛者でない者、大嫌い。 その志を成し遂げられるとでも思っているのか? 玉浦(オクポ)海戦での勝利におぼれているのだろう。 李舜臣率いる朝鮮水軍が今度は、泗川(サチョン)の日本… [続きを読む]
9月23日 私の率いる水軍は先日、朝鮮南海岸の巨済島・玉浦(オクポ)で、朝鮮水軍司令官・李舜臣(イ・スンシン)率いる水軍に撃破された。 連戦連勝していた日本軍最初の敗戦。 釜山(プサン)日本本陣に於いて私は、朝鮮人に負け… [続きを読む]
1月28日 私は、死にかかった。 なのに興奮していた。 それにしても。 朝鮮侵攻については、私自身は反対であった。 しかし他の武将同様、太閤殿下を制止するわけでもなく、やるせない気持ちを抱えながら、殿下の命… [続きを読む]