第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第90回 万暦帝の治世


豊臣秀吉天正一九年六月一四日

紫禁城の朝廷に立って、大学士(宰相)・許国が言う。

朝鮮は聖節使・金応南の行により倭国を奏して、兵を率いて我が国に入ると。

ついで冬至使・李裕仁の行により、再び賊情を奏して曰く『もし賊が動き、これを見たならば、必ず勇気を示して先陣をきりましょう』と。

これより前、浙江福建の巡撫(じゅんぶ:地方長官)が共に報じた。『日本倭奴(秀吉)が琉球を招き誘い侵入する』と。

けだし近年、韃靼(だったん:元朝の末裔)は北に猖獗(しょうけつ)し、西蕃(せいばん:西方の蛮族)は西に蠢動(しゅんどう:策動)し、緬夷(びるい:ビルマ)は南に侵犯するも未だ達せず。もって島寇(日本)は心を生じ、すきまに乗じて掠めようと発した。

中外(京官と地方官)の小臣は争って批判に務め、大臣は紛紛として去らんとする。誰か敢えて国家のために務めて事にあたる者ぞ。

 

万暦帝

万暦帝

皇帝(万暦帝)は、六部(りくぶ:中央官庁)と都察院(監察官庁)に諭して言う。

祖宗(始祖・洪武帝)は官を設け職を分け、これをして上下をまとめ内外を維(つな)げられた。

これをもって官の言責を守るは、各々有司(ゆうし:役人)に存す。どうして乱れる余地があろうか。

近年各々、心有り、もって政を為す。あるいは卑しきを以て尊きを凌ぎ、あるいは新しきを以て旧(ふる)きをそしり、もって国是紛紛、朝廷の綱紀が衰える。大臣解体し争って辞職せんと欲す。

国はその人無く、誰と共に治めん。内治挙らず外患次第に生じ、四夷こもごも侵そうとする。

職はこれゆえに、今後は名と分を犯さず、国の掟は昭(あきら)かにして必ず軽々しくゆるめず。

かさねて行うに南京、浙江、福建、広東守督など衙門(がもん:役所)とともに、預め調度兵食の計を講じ、海港の固めを戒めよ。欽(つつし)むがよい。

諸臣たちは、両手を組み合わせて忠義を示した。

 

対馬の宗義智が海を越え、釜山に至る

ここの辺将を諭して、留まること一〇日余り。

国王(宣祖)からの返答はなかった。

義智が帰国の途についたとき――

主将・豊臣秀次、佐竹義宣・宇都宮国綱・上杉景勝徳川家康大谷吉継・石田三成ら豊臣の大軍勢が、奥州に向かって発った。

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