藤原惺窩くんの日記:第17回 弟子の育て方を間違えている


藤原惺窩戦国30年4月23日

何かして生きてゆく糧を得なければならないのだが、私は自分の播磨のあばら家から出る気がなかった。

明への遊学を企図して、突風に見舞われて鬼界ヶ島に漂着。やっとの思いで本土に戻って来たら国賊として知らない者に京で暴力を振るわれた。

怪我がまだ治らないというより、人間不信に陥って、家の外に出る気がなかった。筆を執り、「書」と紙に大きく書いて、看板だけは掲げた。

食べ物もなく、何も食せず、遠くから聴こえる鳥の声をぼんやり聴いて過ごすこと数日。

舜首座(しゅんしゅそ・惺窩のこと)!

京から相国寺の私のかつての弟子らが突然、食べ物と仕事を持って来てくれた。私のことは相国寺の僧で太閤の側近・西笑承兌から聴いたという。

「僧録(そうろく・承兌のこと)はなんと?」

と私が尋ねると、

今後あのような国の裏切り者とは、交わってはならぬよう言われました。

と弟子らは笑った。

「そなたらの耳は節穴か。」

舜首座の弟子ですから。

私は苦笑した。弟子の育て方を間違えている、ともらったちまきを食した。五日後には友人の木下勝俊様が数人のご家来と共にやって来た。

先生…

勝俊様はわが家の玄関先に立ち尽くした。

木下勝俊

木下勝俊

「いけません、若狭の殿様がこんなあばら家に。」

と私が問いただすと、

ここは私の帰る場所です。

と勝俊様は私を抱きしめた。

ずっとずっと先生のお帰りをお待ちしておりました…

恋する人のように先生を日本で待っています。

やはり弟子の育て方を間違えている。

こんなつもりではなかった。

勝俊様の腕の中で思わず涙がこぼれた。

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