藤原惺窩くんの日記:第2回 天空の城の赤松広通
2月23日
私は藤原定家十二世の子孫で、冷泉為純の子として播磨(兵庫県南西部)に生まれた。
幼い頃に但馬(兵庫県北部)景雲寺に入って僧となり、十八の時に戦乱で父と兄を失い、相国寺普広院・住職の叔父を頼って上京。相国寺入って禅学と漢学を学んでいた。
十五年の月日が経った時、但馬の竹田城主・赤松広通(ひろみち)様に招かれ、播磨に戻って来た。
好学の士・広通様は変わらずに元気にしておられてるだろうか?
十五年ぶりに広通様に逢う為、山頂にそびえ立つ竹田城に至る坂道を息切れしながら登っていた時。
「惺窩(せいか)!」
と前方から駆け足で下ってくる人が目に飛び込んで来た。
「広通様!?」
と私が声を発した瞬間に、
「よくぞ戻って来てくれた!!」
と広通様は私に抱きついた。
「お元気でございましたか?」
広通様は私より二つ年下の三三歳。私が但馬にいた頃、広通様は私を兄のように慕ってくださった。
「なんとか。惺窩は?」
「なんとか。」
広通様と私は苦笑した。
「今は一時休戦中だが、日本軍は再び朝鮮へ再出兵するかもしれない。そう思ったら、何だか無性に惺窩に逢いたくなって…」
「私も広通様に逢いたくなって戻って参りました。」
「私に仕える気はないのに?」
「誰にも仕える気はありませぬ。」
「自由で剛胆な性格は相変わらずだな。惺窩とだったら、この天空の城から日本を変えられるかもしれない。」
「私より広通様の方がずっと自由で剛胆でございます。」
「いやいや今言ったこと、くれぐれも口外せぬように。」
広通様と私は今度は思いっ切り笑った。
それは私が朝鮮の儒学者・姜沆(カンハン)先生に伏見で出逢う三年前の出来事だった。
カテゴリ:藤原惺窩くんの日記 | 2016-02-23 公開
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