徳川家康くんの日記:第36回 白河の関も越えられる
12月8日
慶長の役の際、捕虜となった三十代前半の朝鮮の学者・姜沆(カンハン)が伏見城で幽閉生活を送っていた。
日本に連行される際、姜沆の幼い息子と娘は波打ち際に打ち捨てられ、姜沆自身は日本に上陸すると、飢えと渇きの中をひたすら歩かされた。
わしに江戸で『貞観政要』の講義をしてくれた三十代後半の僧・藤原惺窩(せいか)は、伏見で姜沆を通して朱子学を深め、ついには僧から儒者に転身した。
惺窩がそこまで傾倒する姜沆ってどんな人なんじゃろ?
伏見に来ていたわしは本日、惺窩と共に姜沆を訪ねてた。
「惺窩からあなたは大変な学問好きだと聴いています。」
と姜沆は日本語でわしに話してくれた。
「惺窩ほどではござらぬ。」
とわしは返答した。
「惺窩は先日、私にこう言いました。
日本の民衆の窮乏が今ほどひどい時代はありませんでした。
もし朝鮮が明と共に日本の罪を正す兵を出し、日本に侵入しても、民衆をこの地獄の苦しみから救う為に来たのだと知らしめて、軍隊が通過する地域に被害を与えないようにすれば、白河の関(現・福島県)までも越えられるでしょう、と。」
「ソンセンニム(先生)!」
と惺窩は朝鮮語で声を発した。
「しかし日本の民衆を、惺窩を、地獄の苦しみから救えるのは朝鮮と明の兵ではなく、徳川家康殿、あなたではないのですか?」
そんなまさか!
わしは五大老筆頭。太閤殿下の忠臣じゃよ?
権力に歯向かうなんて、そんな骨の折れることしたりしない。
白河の関を超えたいなんて思ったりしない。
だけど今日も頭上に悲しみの雨が降る。
悲しみの雨が降る。
悲しみの雨が降るのじゃった…
カテゴリ:徳川家康くんの日記 | 2015-12-08 公開
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