第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

小西行長くんの日記

小西行長くんの日記:第65回 くそったれ日本


小西行長

文禄二年一月二八日 日本軍の先鋒として平壌まで攻め入った。 しかし年明け、朝鮮を救うべく明の大援軍が到来し、平壌を攻撃。 小西軍は敗走して、漢城(ソウル)へ。 くそったれ日本。全部太閤のせい。事なかれ主義のサムライの罰。… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第64回 正義の味方


小西行長と朝鮮女子

2月24日 年明け、小西軍籠る平壌城が明・李如松の大軍に攻撃された。 小西軍は首都・漢城(ソウル)まで敗走。これを追うように李如松軍も平壌から漢城に向けて南下。これにより、漢城に集結していた日本軍が危機に陥った―― 李如… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第63回 指名手配


小西行長

7月3日 日本軍が集結している息苦しい首都・漢城(ソウル)を飛び出した。 家臣の内藤如安、娘婿の宗義智、外交僧・景轍玄蘇(けいてつ-げんそ)らと共に行く当てもなく歩き続けた。 刀を差していないってこんなに身軽だったけ。商… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第62回 口実


小西行長・内藤如安・宗義智・景轍玄蘇

7月2日 小西軍籠る平壌城が明・李如松軍の攻撃を受けて、たまらず敗走。南下して命からがら首都ソウルまで辿り着いた。 小西軍の後を追うように李如松軍がここソウルに迫って来る。ソウルの日本軍は緊急の軍議を開いて、李如松軍迎撃… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第61回 トップランナー


石田三成と大谷吉継

3月5日 平壌城に籠っていた私は年明け早々、明の大援軍に撃破された。 明の大砲は発達していて、たまらず黒田長政籠る黄海道に向かって敗走。更に黒田軍と共に南下して、命からがら首都ソウルの日本本営に帰陣した。 間もなく平壌の… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第60回 ずっとあなたが嫌いだった


黒田長政

11月5日 ずっと「いいヤツ」と言われ続けてきた。 親孝行は当たり前。侍になりたかったけれど、堺の商人である父の仕事を手伝った。 お客様のためなら残業は当たり前。休みなく働いて親子揃って「海の司令官」と称された。 その才… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第59回 登りつめれば


李如松と柳成龍

7月5日 登りつめれば落ちるしかないのさ。 太閤殿下の命令で朝鮮に侵攻。先鋒の小西軍は、破竹の勢いで釜山から北上して僅か半月で首都ソウルを制圧。 更に北上して平壌(ピョンヤン)に至り、ここも制圧すると、我が軍は平壌城に留… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第58回 嘘


沈惟敬

1月19日 去年4月に朝鮮侵攻が始まると、先鋒隊の小西軍は釜山から北上して、僅か半月で首都ソウルを落とし、6月には平壌も落としてここに留まった。 7月、朝鮮の要請で明の援軍が平壌に攻め込んできたが、我が軍はこれを撃退。 … [続きを読む]

小西行長くんの日記:第57回 男


清正・長政・隆景・義弘

月11月22日 初めからサムライだった人間には負けなくないよ。 太閤から日本軍先鋒を仰せ付かった光栄。 今年四月、朝鮮へ侵攻。釜山から破竹の勢いで北上し、僅か半月で首都ソウル・漢城制圧。 漢城(ハンソン)の関門の上から、… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第56回 君と私のAMATERASU


天照大神

月7月26日 去年の四月に文禄の役が始まり、緒戦は日本軍の優勢だったが、今年に入ると朝鮮・明連合軍の優勢となった。 窮地に陥った日本軍は明との和議に傾いたので、今月中旬に私は明の使節・謝用梓・徐一貫を伴い帰国。明使節は肥… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第55回 内藤如安、自分の為に北京へ行く


内藤如安

月4月10日 文禄の役が始まって二年余り。 一時停戦状態の今、私は和議を成立させる為、明の外交家・沈惟敬(しんいけい)と共に、太閤秀吉のうかがい知らぬ所で明皇帝に誼(よしみ)を通じる文書・納款表(のうかんひょう)を作成し… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第54回 宇喜多秀家重体-幸州の戦い


宇喜多秀家

月11月5日 太閤秀吉様の命で、第一軍として私は朝鮮・釜山(プサン)に上陸して、二十日で都・漢城(ソウル)を制圧。 更に北上して、平壌(ピョンヤン)城も落として、私が暫くここに留まっていた時、朝鮮朝廷が明に援軍を要請した… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第53回 妓生・論介(キーセン・ノンゲ)


妓生論介

月5月26日 前年、朝鮮の要衝である晋州(チンジュ)城を攻撃して失敗した日本軍は、この度、総力を結集して再度攻撃に出た。 晋州城を包囲した武将は、総大将の宇喜多秀家様以下、黒田長政、加藤清正、鍋島直茂、島津義弘、小早川隆… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第52回 秀家の手紙と背後の清正


小西行長

月12月15日 おまえと違って俺はもう、誰も傷つけたくなかった。 なのに朝鮮の役に巻き込まれた俺は、全軍に遥か先立って、釜山(ぷさん)、とくねぎの両城を攻め落とした。 とは言え異国の地で俺は、とても心細かった。 元主君の… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第51回 鷲の隣人


鷲

7月21日 加藤清正。 本当におまえはあいつに適(かな)うと思っているのか? おまえだけじゃない。 宇喜多秀家、藤堂高虎、島津義弘、伊達政宗しかり。 戦国武将100人束になっても適いはしないさ。 そんなふうに思ってしまう… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第50回 熊本城の美しさの秘密


熊本城と石垣

5月9日 いつも隣りから眺めている熊本城。 そう言えば熊本城の、滑らかに反り返るあの美しい石垣は一体どうやって築いているのだろうか。 本日、加藤清正に今更聴いてみたところ、「教えられない。」と言われた。 「なんで。」と更… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第49回 風邪と凧揚げと内藤如安


小西行長

1月18日 先日、加藤ご近所清正に醤油を借りに行ったら、清正は風邪を引いていて、ひどく咳き込んでいた。 バカでも風邪を引くんだなーと感心していたら、見事俺は清正から風邪をうつされてしまい、ここ数日間、ずっと寝込んでいる。… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第48回 突然降られてやんの。


加藤清正

8月24日 8月7日、立秋の日。秋の始まりとは思えない炎天下のあぜ道で清正に逢った。 俺は何事もなかったように、何一つ言葉を交わさず、清正の横を通り過ぎた。 8月21日、満月の日。日が落ちて、蝉の声も静まったあぜ道で清正… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第47回 あくびが出るほど退屈だろう


小西行長

3月15日 あくびが出るほど退屈だろう、俺達の関係は。 大坂城下にはいつの間にか、茶の湯、碁、和歌、絵画など、趣味で繋がるサロンがたくさんできていた。 そこでキリシタンで西洋かぶれの私は早速、ラテン語サロンに入った。ここ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第46回 清正のかあちゃんにつかまって


加藤清正のかあちゃん

7月17日 今日も清正のかあちゃんにつかまって、傾聴ボランティア90分。 「お虎(清正)は、市(福島正則)と孫(加藤嘉明)と一緒に、おねさまのお風呂を覗いたことがあるのよ?」 って、しょうもない昔話を炎天下の道端でずっと… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第45回 清正のおかしな伝染病


小西行長

11月22日 昨日、隣り近所の加藤清正から戦国おでんのおすそ分けをもらった。おいしくいただき、おすそ分けが入っていた清正の皿を洗っている時、ガシャーン!私は見事に清正の皿を割ってしまった。 ブッコロサレル。とりあえず私は… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第44回 二つの小さな蓑笠


小西行長

9月21日 雨の中、私は蓑笠(みのかさ)をかぶり、家臣の内藤如安(じょあん)を連れて、小西領のお米は不作ではないか村々を巡回した。私の心配をよそに稲穂は頭をもたげ、田んぼは辺り一面黄金色に染まっていた。 その光景に満足し… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第43回 いつもそこに君がいた


小西行長

8月25日 一匹のカブトムシを見つけた。宇土城の柱の上の方で、大きく足を広げてじっとしていた。 「こにし!」 元主君の宇喜多秀家さまを思い出した。手が届かず木の下で飛び跳ねる小さな秀家さま、つまり八郎さまの為に私は、カブ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第42回 Without 宇喜多秀家


小西行長

8月7日 日が沈む頃、うちの宇土城の門を叩く音が聴こえた。扉を開けると、少し焼けた隣り近所の清正が立っていた。 「大坂城から只今肥後国に戻って来た。」と言う清正に、「あっそ。」と私は吐き捨てるように言った。 「大坂城では… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第41回 醤油はいらないんだ


小西行長

6月23日 今日大谷吉継が、熊本の俺んち、宇土城に遊びに来てくれた。そこで俺は南蛮人から教わった、きのこの南蛮蕎麦(パスタ)を作って振舞った。 「向こうのお蕎麦って黄色いんだね、驚いた。小西は城造りはイマイチだけど、料理… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第40回 恋がしたい


小西行長

5月12日 どんなに歩いても辿りつくべき人に出逢えないこの道は間違っているのだろうか。 夢にまた一歩後退し日が沈むだけの今日も、俺を待っていたのは加藤清正。「小西よ、有難かったが鯉のぼりはもう下げていいぞ。」 ただ孤独を… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第39回 節電対策


小西行長

3月24日 東北に震災があった日から、加藤ご近所清正の真っ黒な熊本城は、日が落ちれば早々に闇夜に溶けていった。 清正が、熊本城のロウソクの灯りを完全に立ち切っているからだ。ここ九州の地から節電に協力しているつもりなのだろ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第38回 隣りの生存確認


小西行長

1月17日 今日もまた眠れない。誰かと競い合い、蹴落とし蹴落とされるだけの戦国武将稼業にひどく疲れを感じる。 明け方。私の居城である宇土城の門を強く叩く音が聞こえた。門を開けると、隣り近所の加藤清正が立っていた。 「小西… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第37回 心が凍っている関係


小西行長

11月10日 先日、大坂に大きな地震があったと言って、隣り近所の加藤清正は、急ぎ大坂城に向かった。 私は行かなかった。自分が治める肥後国(熊本県)の民百姓の貧困さえ、私はまともに救えてないのに、遠い国の、大坂城のピンチに… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第36回 故郷


小西行長

8月15日 さあ、今日も俺の叫びを聞いてくれ。 今年の夏も、帰りそびれた故郷を思いながら、もう誰の声も聞こえない程、孤独なヒトを探していた。 さあ、今日も俺の叫びを聞いてくれ。 今年の夏も、帰りそびれた故郷を思いながら、… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第35回 醤油が切れたら


小西行長

6月22日 昼間、うちの門を叩く音が聴こえてたので、門を開けると、隣り近所の加藤清正が立っていた。 「わしは今から、所用で大坂城に行く。」と清正は自分の黒光りした馬をなでながら言った。「勝手に行けば。」と私は冷やかに言っ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第34回 言葉は二つで充分だった


小西行長

5月7日 太閤殿下から肥後国を賜り、ここに移り住んでから随分経つが、私はいまだに、この土地の人々との間に距離を感じていた。 まず、熊本弁がうまくしゃべれない。堺の商人だった私は、大阪弁がついつい出てしまう。それがいけない… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第33回 桜


小西行長

4月4日 今日の私は、休日にも関わらず珍しく早起きした。朝日でも浴びようと、自分んちの門を開けた。すると隣り近所の加藤清正がいた。 「おはよう。」と清正は私に挨拶し、うちの前を箒(ほうき)で、せっせと掃いていた。「おはよ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第32回 買ったりしない醤油


小西行長

1月13日 今日は家臣の内藤如安(じょあん)を連れて私は、仕事に使う備品を買いに、宇土城下に出た。筆とすずり、戦国テプラを買った後、如安が「今日の小西家のちゃんこ当番は私なので、夕食の食材もついでに買いたいのですが。」と… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第31回 おでん


小西行長

11月26日 私の家族と家臣が、京に紅葉を見に行き、私はひとり屋敷で留守番をしていた。今日は寒いので、夕食は一人だけれど、戦国おでんを作ろう。しかし味付けに使う醤油をきらしている。 私は醤油を借りる為、隣り近所である加藤… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第30回 小西は俺達の誇り


小西行長

10月16日 先日、私は用があって大坂城に行き、ついでに堺まで足を延ばし、私が商人をしていた頃の旧友たちと逢った。彼等は私を、食べきれない程のご馳走でもてなしてくれた。 旧友たちは相変わらず、商いを営んでいた。余り儲かっ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第29回 熊本城の落書き


小西行長

9月14日 昨夜、誰かが、熊本城の石垣に、「キリシタン大名は出ていけ。」という大きな落書きをした。朝から、加藤清正と家臣らは落書き消しに、悪戦苦闘していた。 私は特殊な戦国化学溶剤を持参し、熊本城に駆け付けた。「タワシで… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第28回 ただのポン酢


小西行長

8月16日 夕飯時、戦国パスタを食べていたら、うちの屋敷の門を強く叩く音がした。戸を開けてみると、隣り近所の加藤清正が立っていた。 「四日前に小西に貸した、うちのドレッシング!なんでさっさと返しに来ないんだよッ!」 と清… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第27回 宇土城の住所


小西行長

7月16日 戦国宅急便がうちに来て、大谷吉継からの荷物を受け取った。箱に貼られた送り状に、私はふと目をやった。お届け先の住所には、 「熊本城の隣りのしょぼい家」 と大谷の字で書いてあった。荷物と一緒に大谷の手紙が入ってた… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第26回 公園デビュー


小西行長

6月19日 今日は熊本戦国公園で、町内会の会合があった。夏祭りは毎年、この公園で行われていた。しかし今月でこの公園は取り壊され、新しい寺が建立されると町内会長から本日、報告があった。私は最後に、この公園にお別れを言いたく… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第25回 牛乳箱


小西行長

5月12日 私は最近、早朝にジョギングを始めた。今日も朝日が昇る頃、自分の町をひたすら走る。気持のよい汗をかき、くたびれた所で、私はのどが渇いた。 その時、飲み物が入ってそうな箱が目に飛び込んだ。その箱のフタを開けると、… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第24回 鮭のぼり


小西行長

4月16日 朝一番で、隣り近所の加藤清正が私の屋敷にやってきた。「あれはなんだ!」と清正は門前で叫び、うちの鯉のぼりを指差した。「どうだ、大きいだろう。おまえんちより先に飾ってやったよ。へっへー!」と私は自慢した。 「あ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第23回 今日は隣りじゃない!


小西行長

3月11日 今日は大坂城で茶会があり、主に九州の大名らが太閤殿下に招かれ、私も出席した。新しく作ったという殿下の茶室には、殿下のお姿はまだなかったが、九州の大名らは、ほとんど集まっていて、皆、静かに座っていた。 加藤清正… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第22回 小西行太郎


小西行長

2月7日 私の屋敷の門が、壊れるくらい、ドンドンドンと叩く音が聞こえたので、私は慌てて門を開けた。誰かと思ったら、大分県の黒田長政殿だった。 「あれ?ここ、清正の屋敷じゃない系?!」と長政殿は私を見て言った。「清正のうち… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第21回 カムフラージュ


小西行長

1月4日 昨日は、戦国熊本町内会のお正月餅つき大会だった。今年は、隣り近所の加藤清正と私が、交互に杵を持って餅をついた。そして、他のご近所さんと一緒につきたてのお餅を食べて、楽しんだ。 そして今日。昨日の餅つきをがんばり… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第20回 正直な福島正則


小西行長

12月1日 私の屋敷の門が、壊れるくらい、ドンドンドンと叩く音が聞こえたので、私は慌てて門を開けた。誰かと思ったら、福島正則殿だった。 「よお!虎、久しぶりじゃ。愛知から熊本まで遊びに来たぞ。虎よ、暫く会わないうちに、身… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第19回 隣りの松の木


小西行長

11月10日 隣り近所の加藤清正が、また私の屋敷の庭を突っきって、大坂城に向かおうとしていた。 「ひとんちの庭、勝手に入ってんじゃあ、ないよ!」と私は加藤家御一行を通せんぼした。「小西の庭をつっきった方が、大坂に近いのだ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第18回 仏教徒なご近所


小西行長

10月4日 今日、大坂城から帰ってきたら、私の屋敷の前で、隣り近所の加藤清正が横になって眠っていた。清正は、四角い箱を手にしていた。私は清正を起こさないように、その四角い箱をそっと取り上げた。 高山右近殿から私宛の荷物だ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第17回 熊本城天守閣の布団


小西行長

9月8日 今日私は、私の国の村々の様子を見て回った。穀物も順調に育っているようで、今年の秋の実りが楽しみだ。安心した所で、自分の屋敷に戻る途中、隣り近所の加藤清正の熊本城天守閣が目に入った。空からぽつり、ぽつりと雨が降っ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第16回 清正以外のご近所


小西行長

8月2日 夕飯を食べ終え、歯を磨いていたら、私の屋敷の門をドンドンドンと、強く叩く音が聞こえた。門を開けてみたら、隣り近所の加藤清正が立っていた。 「何でしょうか。お味噌は、もうお返し、しましたよ。」「味噌じゃない。畳だ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第15回 西洋のお味噌汁様


小西行長

7月9日 今日は、2ヵ月前、隣り近所の加藤清正に、借りたお味噌を返すために、清正の屋敷を訪ねた。清正の屋敷の玄関で、「私がお味噌を早く返さないばかりに、さぞかしご迷惑をおかけしたことでしょう。」と私は清正に謝った。「さぞ… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第14回 空中地上権


小西行長

6月16日 加藤清正ーーーッ!!! あなたは、隣人である私になんの断りもなく、自分の敷地内に五層もあるデカイ櫓(やぐら)を建て、この度完成させた。おかげで私の部屋の窓から見える美しい山の景観は、その櫓に阻まれ、全く見えな… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第13回 燃えないゴミの日


小西行長

5月20日 加藤清正ーーーッ! 火曜日は燃えないゴミの日 だって言ってんだろう! 燃えるゴミ出すなよッ! まったくもう、こういうヒトがご近所にいると、困るのよねえ。 [続きを読む]

小西行長くんの日記:第12回 3%引きの薔薇


小西行長

4月4日 桜がなんぼのもんじゃい。私はキリシタンなので、西洋にならって、バラを好きになることにした。しかしキリシタンでもないのにバラが好きな武将が、ひとりいる。常陸国の佐竹くん(佐竹義宣)だ。 佐竹くんの国の茨城(うばら… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第11回 どうして漬物


小西行長

2月14日 今日、南蛮寺に行ったら、去年のクリスマスに戦国バレンタインのお返しに十字架のペンダントをプレゼントした町娘に出逢った。私達は軽く挨拶した後、別れた。・・・って別れてどうする! 「あのッ!」と私は町娘を引き止め… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第10回 南蛮寺に行きましょう


小西行長

12月24日 人の集まる所には、行ってはいけない。寂しくなって家に帰るだけだから、と誰かが言っていた。だから今日、親しくしている宣教師に南蛮寺に行きましょうと誘われたけれど、今日はクリスマスだから人もたくさんいるだろうし… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第9回 汝、隣人を愛せ。


小西行長

10月3日 最近いつも、隣国の加藤清正と私が、ここはうちの領土だ、不法侵入だと、熊本県内の境界線で、ドンパチ鉄砲で威嚇しあっている。私はほとほと疲れた。キリシタンの私は兵法書ではなく、聖書を日々、めくるようになっていた。… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第8回 炎天下の下の秋


小西行長

8月8日 今日は立秋ということに、私は気付いてしまった。 この真夏の炎天下で、暦の上ではもう秋だと気付いたのは、この世で私ひとりのような気がして、なんだかさみしい気持ちになった。 自分の屋敷に夕暮れ時に帰ると、文が届いて… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第7回 四人で行くローマ


小西行長

6月13日 今日、海岸で私と同じキリシタン大名の高山右近殿と話をした。「小西殿、いつかきっと、ローマを目指し、ローマ法王に逢いに行きましょう。」と高山殿は、海の向こうを指差した。 「高山殿、ここは日本海です。指の先は明国… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第6回 夢が叶った後先


小西行長

4月11日 花が散って、寂しくなった桜の木のように、私の心はぽっかり穴が空いてしまった。若い頃はただひたすら戦国武将になりたくて、寝るのもおしいくらい、毎日一生懸命生きていた。 そして戦国武将になって、戦国大名までなった… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第5回 会えるかわからない人


小西行長

3月14日 今日はホワイトデー。私はバレンタインデーの日、南蛮寺で名前も知らない町娘に金平糖をもらった。今日はそのお礼に彼女と出逢った南蛮寺で宣教師と私とで作った十字架のペンダントを渡そうと思って、その町娘を待っている。… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第4回 明石掃部画伯


小西行長

3月4日 この前、宇喜多秀家殿と石田三成と大谷吉継と私とで鷹狩に行ったのだが、その時の4人の様子を明石掃部殿が絵に描いてくれて、それを最近疲れている私にプレゼントしてくれた。 一番間抜けな顔をしているこれが私、行長ですか… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第3回 南蛮寺バレンタイン


小西行長

2月14日 キリシタン大名である私は今日、南蛮寺にいつものようにゼウスに祈りを捧げに行った。 すると帰りに知らない町娘がわたしに、これをどうぞと、金平糖をいきなり渡し逃げるように去っていった。そういえば今日はバレンタイン… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第2回 石田三成が遠い


小西行長

1月18日 今日は大坂城で久しぶりに、友達の石田三成に会った。三成は豊臣政権のビジョンを熱く私に語った。私はそういった夢も情熱も、もう消えかけてしまったので、三成が遠くに思えた。希望がほしい時に限って、希望は遠ざかってし… [続きを読む]

小西行長くんの日記:第1回 止まない雨


小西行長

12月18日 太閤殿下は朝鮮で合戦してこいとか言い出すし、隣国の加藤清正とは全くうまくいってないし、何もかもがうんざり。自分には戦国武将稼業が合ってない。 今更そんなことを思ってしまう。かといって他にやりたいこともない。… [続きを読む]